Profile

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1977年ハワイアンバンド「大塚竜男とパームセレナーダス」の歌手としてプロデビュー。同時にポリネシアンダンサーとしても活躍。以来、ハワイ州知事より功労賞を授与、ハワイの音楽賞「Hawaii Music Awards 国際部門賞」を2度受賞、デビュー30周年記念コンサートではホノルル市長より「日本とハワイを結ぶ音楽親善大使」のメッセージを送られるなど、日本を代表するに相応しい実力派ハワイアンアーティスト。2007年ハワイの伝統チューニングであるスラックキーギターを自在に操り、多方面で活躍中のギタリスト鈴木祐輔をメンバーに迎え、ベースの川上トモヒロと共に「アグネス・キムラ バンド」を結成。豪華客船クルーズ、ホテル、コンサート、ライブハウス、各イベント等に出演。スラックキーギターの美しい音色と共にハワイと日本の心を歌い上げ、多くの人々を魅了している。
2015年
「Tahiti Fete I Okinawa」Matua Vahine 50+ 優勝
2014年
「Tahiti Heiva I Osaka」Vahine Rima 準優勝
「Tahiti Heiva I Tokyo」Vahine Rima 準優勝
グアム・サイパン ニューイヤーズクルーズ
2013年
「Tahiti Heiva I Osaka」Wahine Maha 6位入賞
小笠原クルーズ
2012年
「Tata'ura'a Oli Tahiti」50歳以上ソロ部門、優勝
「Tata'ura'a Oli Tahiti」、People's Choice賞受賞 現バンドメンバー(Uke. アグネスキムラ、G. 鈴木祐輔、B. 川上トモヒロ)による待望のCD「Nani Ahiahi」リリース。10月には4度目となるスラッキーギターフェスティバルに出場。
小笠原クルーズ
2011年
「Tata'ura'a Oli Tahiti」50歳以上ソロ部門、優勝
「Tahiti Heiva in Japan」40歳以上ソロ部門、準優勝
世界一周クルーズ(コズメル~グアテマラ共和国~アカプルコ~オアフ島)
小笠原クルーズ
2010年
「Tahiti Heiva in Japan」45歳以上ソロ部門、準優勝
太平洋一周クルーズ(横浜~グアム島~タラワ<キリバス共和国>~カウアイ島~オアフ島)
2008年
「Ho'omana'o - My 30 Years」が「ハワイミュージックアワード・インターナショナル部門賞」を受賞。2005年に続く2度目の受賞はハワイアンアーティストとしての実力を改めて証明する快挙となった。8月には3度目のスラッキーギターフェスティバルへの招聘を受け、現地ではKeith Haugenセレクトによるベストアルバム「Ho'i Mai 'O Agnes」が企画制作発売された。17年振りのフェスティバル出場では大喝采を浴び、翌日には同じカピオラニ公園で同氏プロデュースによるアグネスキムラ単独コンサートを成功させた。同年、日本では全篇スラッキーギターだけのアルバム「アグネスキムラのスラッキーな世界」をリリース。踊りの方では、数年前からのタヒチアンダンス大会設立を受け、この年よりソロ部門へのエントリーを始めた。
南太平洋クルーズ (タヒチ~クリスマス島<キリバス共和国>~ハワイ島~オハフ島)
2007年
デビュー30周年記念アルバムとなる「Ho'omana'o - My 30 Years」を発表。記念のコンサートでは故ダニエル・イノウエ上院議員始め、ハワイの各方面からも多くのメッセージが寄せられた。その中には日本とハワイを音楽で結ぶ「音楽親善大使」と名付ける、とのホノルル市長からのメッセージもあった。
2006年
新世代ハワイアンバンド、エコモマイと共に「ホノルル・ロコボーイ」をリリース。
2005年
ハワイの音楽大賞であるハワイミュージックアワードに「My Jubiee」がノミネート、「インターナショナル部門賞」を受賞。また、その年所属していたフラスタジオ「Ka Manu Hula Le'a」のメンバーとしてハワイ島ヒロで開催されるフラの祭典「メリーモナーク」の前夜祭で踊りを披露。
2004年
「My Jubilee」リリース。
2001年
「Chotto Matte Kudasai」リリース。
1998年
Keith Haugen プロデュースにより、ハワイで制作発売したハワイデビュー盤「Agnes Kimura in the Hawaiian Style」がワイケレのボーダーズでトップ15入り。同年ハワイでチャリティーショーを成功させる。
1996年
この年から7年間「品川プリンスホテル」レストランハプナへ出演、後半から約4年間「センチュリーハイット東京」ラプソディーにも出演、2010年までは「ホテルパシフィック東京」のブルーパシフィックに出演、アグネスキムラショーの土台が築かれた。
1995年
大輪氏リリース「Hole Hole - OWA Mele Island feat. AGNES KIMURA」にボーカルとして参加。このアルバムの中で歌った日本人ハワイ移民の歌「ホレホレ節」は以後ライフワークとして歌い続けることになる。
1991年
「スラッキーギターフェスティバル」2度目の出場を果たす。ハワイ音楽に貢献したとしてハワイ州知事より功労賞を授与。ハワイのスラッキーマスター、Ozzy Kotani氏にスラッキーギターを師事。同年、赤道直下の国「キリバス共和国」大統領の前で「Chotto Matte Kudsai」を歌う栄誉に預かる。
1990年
ハワイ ホノルル開催「スラッキーギターフェスティバル」に外国人として初めて招待され注目を浴びる。
1989年
大輪好男氏率いるバンド「OWA メレアイランド」で歌い始める。ホテルのラウンジに出演中、スラッキーギターを弾いて歌う姿がハワイの音楽プロデューサー Keith Haugen氏の目に留まる。
1983年
「三橋信夫とマウイセレナーダース」所属。ギターとボーカルを担当。6年間の在籍中に4枚のCDアルバムに参加。また、その間に三橋氏よりハワイの伝統チューニングであるSlack-Key Guitar(以下スラッキーギター)を習得。
1981年
「クウレイナニ&トロピカーナ」のダンサーとしてもポリネシアンショーで活躍。一方、小林京子率いるジャズコーラスグループ「ザ・シャイニーストッキングス」の創立メンバーとなりホテル、ジャズクラブ等に出演。
1979年
銀座 「ASCOT」にハワイアン歌手兼ダンサーとして復帰。
1977年
ハワイアンバンド「大塚竜男とパームセレナーダース」の歌手としてプロデビュー。同時にプロフェッショナルポリネシアンダンスグループ「アロハビューティーズ」のメンバーとなり温泉地のパッケージショーで本格的に踊り始める。
1975年
ジャズ歌手小林京子氏にジャズボーカルを師事、同年、銀座にあったハワイアンクラブ「ASCOT」にてアルバイトでジャズを歌い始める。お店のダンサーの手ほどきでフラとタヒチアンダンスを踊り始め、ハワイアン歌手のショーで踊ることもあった。